1649年1月22日〜1月28日

パリに残ったゴンディ協働司教の思惑は…

ノーデ:ポール・ド・ゴンディ協働司教がパリ高等法院側についたとな?

本の行商人ジャック:なんでも名誉顧問として迎え入れられたようですよ。

ノーデ:昨年までは、反対勢力と王妃様の間に立って、仲介役になろうとしていたはずだが…

ジャック:王妃様もサン=ジェルマン=アン=レーに来て合流するようにと、ゴンディさんにおっしゃったそうなんですけどね。なんでも配下のものに止められたとかで…

ノーデ:それで、コンティ公らのパリ到着をお出迎えしたというわけか。

ねらうはマザラン枢機卿の地位

ジャック:ゴンディさんの真の目的は、王妃様の側近になることなんです。

ノーデ:それにはマザラン枢機卿をなんとしても蹴り落とさなければ、というわけだな。

ジャック:まずはそこです。

ノーデ:枢機卿はさんざん外国人だの、イタリア人だのと悪口を言われていますが、ゴンディさんだって、もとを正せばフィレンツェの貴族。

ジャック:イタリアでは12世紀末にさかのぼるお家柄で、古いといえば古い。

ノーデ:フランスに来たのは16世紀ですけれどもね。アンリ3世の時代です。

パリ高等法院はマザラン枢機卿の財産没収を決める

ジャック:パリ高等法院は国王様に建白書を送りました。

ノーデ:もちろん国王からは非難しか返ってこなかった。

ジャック:そこでマザラン枢機卿の財産没収を決め、なにもかも競売にかけると言ってますよ。

ノーデ:わたしが司書として一所懸命集めた本も競売にかけられようとしている!

ジャック:高等法院のこの競売命令は枢機卿の蔵書が目当てではと囁かれています。

ノーデ:まったくけしからんことになってきたぞ!

版画:レ枢機卿の肖像、東京大学コレクション『マザリナード集成』B_10_1_P

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