X(旧Twitter)から親しんでいただいている読者にはシーズン2。X上の『フロンド日めくり』同様、ガブリエル・ノーデと本の行商人ジャックがお届けします!
1649年(フロンド暦2年)の始まり
1648年(フロンド暦元年)の振り返り
ノーデ:1648年5月に始まるフロンドの乱は、最初の年がパリ高等法院と民衆が中心になって、課税をめぐって王権と対立するかたちで展開しました。
本の行商人ジャック:8月にパリ高等法院のブルーセルを筆頭とする急進派の評定官3名が逮捕されたことにより、パリがバリケードで封鎖される事態になります。
ノーデ:振り返ってみると、王妃アンヌ様とマザラン枢機卿はパリ高等法院に終始押され気味の一年だった。
ジャック:そこで、王妃様は虎視眈々とパリ高等法院とパリ市に対し報復する機会を狙っていたのです…
*1648年の詳しい振り返りは、 X(旧Twitter)上の『フロンド日めくり』@journal_Fronde (2023年)、あるいは『マザリナード展裏口はこちらです』@Mazarinades.jp(2017年)の中の「フロンド日めくり」をご参照ください。
1649年(フロンド暦2年)の始まり
ノーデ:そして迎えた新年。
ジャック:事件は公現祭を迎える深夜におきます。
ノーデ:1月5日から6日にかけての深夜、宮廷は密かにパリを出て、サン=ジェルマン=アン=レーに移動します。
ジャック:これは一大事ですよ!
ノーデ:パリ市はパニックに陥りますな。
ジャック:なにしろ王様がいることによって、パリは国王軍の攻撃を受けないという暗黙の和平協定みたいなものがありますから。
ノーデ:それがいつ軍隊の攻撃をうけないともかぎらない事態になったのです。
1月は宮廷パリ脱出の巻
ジャック:これは王妃様の決断?
ノーデ:真冬の深夜に、パリから西へ20kmほど離れたサン=ジェルマン=アン=レーの城に移動。これは幼いルイ14世にとってはかなりつらいものがあった。
ジャック:フランスの宮廷はよく移動しますが、ふだん使っていない城には家具やタペストリーなどじゅうぶんな設備がありません。
ノーデ:とりわけ壁にとりつけて、防寒の役目を果たすタペストリーさえないと、同行した宮廷の人が嘆いたそうです。
サン=ジェルマン=アン=レーの城(筆者撮影2014年)