1649年2月26日〜3月3日

兵糧攻めを破って食糧調達に出る貴族たち

ノーデ:フロンド派の貴族たちがたびたび打って出て、小麦などを大量に持ち帰ってくるのだが…

本の行商人ジャック:パリ北東部にある町「ゴネスのパン」という表現がマザリナードに登場するのも、そのせいですね。

ノーデ:しかし、かならずしもうまくいかない。

ジャック:25日も空の馬車が帰ってきて、民衆はがっかりさせられました。

痺れを切らした民衆は暴徒化する

ノーデ:宮廷はあくまで強気で対立姿勢を崩さず、マザラン枢機卿の排除には同意しない。

ジャック:パリ高等法院の弱腰に苛立つ民衆。

ノーデ:法院長を処刑しろとまで叫び出す始末。

ジャック:その怒りはフロンド派の貴族たちにも向けられていて、一部には裏切り者呼ばわりもされていますね。

ノーデ:誰に先導されているのか、彼らの家を略奪しようというものも現れている。

ジャック:そんなこんなで、兵糧攻めにあっているパリ市内も混乱しています。28日には民衆暴動のために街路封鎖。

ノーデ:じつは、フロンド派の貴族だけでなく、パリの民衆も高等法院にとっては諸刃の剣なのだ。

戦況的にいよいよ追い詰められるフロンド派

ジャック:そんななかで、27日にはブリ・コント・ロベールが国王軍の手に落ちたわけですね。

ノーデ:これは本格的に和平交渉に臨まないといけない状況。

ジャック:どうやら、交渉に当たる人のリストが作られているみたいですよ。 ノーデ:3月は交渉の正念場となるな。

ブリ・コント・ロベール、国王軍の手に落ちる

*マザリナード文書のお値段は過激で暴力的、性的表現も際どいものほど高くなる傾向がありましたが、国王軍によるブリ・コント・ロベールの占領のように戦況を伝えるものも通常より高い値がつきました。