1649年3月11日〜3月17日

煽動したのは犯罪者専門の弁護士?

ノーデ:リュエイユでの交渉内容をもって、高等法院側の代表はいったんパリへ引き取るのだが…

本の行商人ジャック:高等法院の議場は大荒れですよ。

ノーデ:法院長モレ氏は議場で罵声を浴びせられ、報告を阻止される始末。だが、これは煽動したやつがいるのだ。

ジャック:短刀やピストルで武装した群衆を導き入れ、パレ・ド・ジュスティスを占拠させたのはシャトレのとある犯罪人専門の弁護士だそうじゃないですか。

ノーデ:まるで未来の米国議会でおきる事件のようだな。

ジャック:和平の宣言書にマザラン枢機卿の署名があるのはけしからんと言って、宣言書を焼こうとしたそうですよ。

ノーデ:そのためにわざわざ死刑執行人まで用意して連れてくるという念の入れようだ。

ジャック:高位の法官たちがさっさと逃げ出す中、モレ氏だけが毅然として残ったそうです。

シャトレとは

ノーデ:ところでシャトレだが…

ジャック:これを説明するのは相当むずかしいですよ。

ノーデ:アンシャン・レジーム期の裁判所、警察組織も備え、監獄でもあった。時期によって指揮系統が複雑怪奇に変化するからなぁ。

ジャック:そもそもはセーヌ川の守りのためにつくられた小さな城塞でしたね

ノーデ:グラン・シャトレの監獄が手狭になってプチ・シャトレもできたし…

ジャック:しかし、単にシャトレといった場合にはグラン・シャトレのことですね。裁判所と警察と監獄と一体になったような場所ですから、取り調べという名の拷問もおこなわれていた。それもかなーりエグいやつ…

ノーデ:牢獄としてのコンディションは懲罰房に近く、貴族であるボーフォール公が投獄されたヴァンセンヌ城とは雲泥の差だ。

ジャック:少し前には、フランソワ・ヴィヨンとかクレマン・マロなどの詩人も一時期ここに放り込まれていましたよね。

モリエールもここで臭い飯をくった

ノーデ:近いところでは3年前、1645年にモリエールさんが借金を返せなくて、ここで臭い飯を食うことになった、そういう場所でありましたね。

ジャック:イリュストル・テアートル(盛名座)という劇団をつくったときの借金で財政難になり、債務不履行で投獄され、結果的にパリにいられなくなったという事件です。(『フロンドの乱とマザリナード』p. 61-61をご覧ください)

ノーデ:それでちょうどこのフロンドの乱の間、モリエールは地方巡業に出ていて、パリにはいなかったのだよ。

*以下の文書はフランス語テクストですが、開くと図版がたくさんあります。どんなところか想像してみてください。

Le Grand et le petit Châtelet

http://philippepoisson.h.p.f.unblog.fr/files/2008/10/legrandetlepetitchtelet.pdf

Grand Chastelet de Paris 版画(1652)Gallicaより

◆「週刊・フロンド日めくり」のノーデと本の行商人ジャックの会話は史実に基づいておりますが、架空の会話です。そのようなものとしてお楽しみいただければ幸いです。短いテクストに収めるために、日付などを省略していることもあります。正確な日付は「年表」をご参照ください。