1649年3月25日〜3月31日

マザリナード文書の摘発はじまる!?

ノーデ:さて、このたびのコンデ親王による攻囲で、じゅうぶんに飢えさせられたパリ市中では、マザラン枢機卿や宮廷への恨みつらみ、罵詈雑言があふれている…

本の行商人ジャック:それこそ掃いて捨てるほど。パリが兵糧攻めに苦しめられた人々の怨嗟の声です。

ノーデ:ビュルレスク詩のような韻文、散文あり、戯れ歌もあり…

ジャック:それを一掃しないと、和平が成立しても、王妃様はお戻りになりませんよ。

不況にあえぐ印刷業者には救いの神:マザリナード

ノーデ: ポン・ヌフでは、ジャックもそれなりに稼がせてもらったのでは?

ジャック:ええ、ええ、それなりにね!

ノーデ:当時、というか今でもその傾向はあるのだが、印刷出版業は不況に苦しんでいた。構造不況業種ってやつだな。

ジャック:マザリナードのように、簡単に印刷できて、品質は問われず、すぐに売り捌けるというのはお仕事として救いの神が現れたようなもの。

ノーデ:しかも、きわどくて、下品なものほど売れる。行商人は売れそうにないものは仕入れない。

お金になれば危ない橋だって渡りますよ!

ジャック:お金さえ稼がせてもらえれば、書き手も印刷業者も、危ない橋を渡るわけです。

ノーデ:薄利多買。一発勝負でも当たれば大きいぞ。

ジャック:しかし、これからは取り締まりが厳しくなりますねえ。

ノーデ:今年は特に。王妃様が納得なさるまで、摘発は続くだろうなぁ。

(『フロンドの乱とマザリナード』第3章「17世紀の出版業とマザリナード文書」は、17世紀パリの出版事情に焦点を当てて書いています。ぜひこちらもご参照ください)

ポン・ヌフは17世紀初めに作られ、当時のパリでもっとも往来が多く、マザリナード文書が売られた拠点のひとつです。

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