1649年8月05日〜8月19日

王の帰還

ノーデ:今年始めに王宮を出られてから、ずっとパリにはいらっしゃらなかった国王陛下がパリへお戻りになった!

本の行商人ジャック:1月5日から6日の夜にかけて、深夜にパリを出てから、はや8ヶ月。

ノーデ:その間いろいろあったなぁ(しみじみ)

ジャック:コンデ親王がパリを包囲し、兵糧攻めにしての戦さがあり…4月1日に、ご滞在先のサン=ジェルマン=アン=レーにて和平宣言をなされてからも、国王はパリへはお戻りになりませんでしたからね。

ノーデ:その際のパリ高等法院との確認事項はWebの年表にもあるけれど、大きくは次の7点だった。

1)パリ高等法院はサン=ジェルマン=アン=レーにおける国王親裁座に列席する

2)4つの最高法院は1649年の終わりまで合同集会を開かない

3)1649年1月6日以降の裁決(特にマザランを告発するもの)に関しては無効とする

4)高等法院が蜂起させた軍隊は解散する

5)パリ市民は武装解除する

6)スペインからの使者はすみやかに首都から退去させる

7)バスティーユとアルスナル(工廠)は国王へ返還する

ジャック:しかし、王妃アンヌ様はパリ高等法院の不服従を許さない。パリ市にもお仕置きが必要と、帰りを延ばし延ばしして、今日8月18日になったわけですね。

国王がいれば、パリは安泰?

ノーデ:パリの民衆は大歓迎で国王陛下と王母アンヌ・ドートリシュ様を迎え入れた

ジャック:その歓迎ぶりにはアンヌ様もびっくりなさったようですよ。そこまで熱烈歓迎されるとは思っていらっしゃらなかったと、側近に語ったそうです。

ノーデ:フロンド派はそれを見てがっかりしたようだね。

ジャック:民衆は移り気ですからね。

ノーデ:冬の間、パリが国王の軍隊に包囲されて飢えさせられたことを忘れたわけではあるまい?

ジャック:むしろ、だからこその「王様、万歳」ですよ! 王様がパリにいれば、もうあんなふうにコンデ軍に封じ込められて、食べるものも食べられないなんてことにはならないという期待です。

ノーデ:王様がいるかぎり、パリ市は安泰というわけだな。

ジャック:しかし、コンデ親王には恨み骨髄のところがありますよ。自分たちを飢えさせた張本人ですから…

ノーデ:それがこの先のパリ市での出来事に影響を与えるだろうな。

ジャック:それはまだ先の話ですがね。

ノーデ:しかし、これでひとまず、内乱は終わったものと思っている人が多かったろう。

ジャック:そうは問屋が卸さないのが、この時期のむずかしいところなんです。

内乱は水面化でくすぶり続ける

ノーデ:いやいや、そろそろ終わりにしてほしいものだ。

ジャック:これからの数ヶ月は嵐の前の静けさで、水面下でいろいろ起きてくるんですよ。

ノーデ:それは来年、1650年1月に起きるあの事件のことを言っているのか?

ジャック:そうです。

ノーデ:つまり、後半のフロンドの乱につながる問題なのだな…

ジャック:まさしく!

ノーデ:では、少しずつ、それを紐解いていこうではないか。

ジャック:複雑なんですよ…

少年王ルイ14世(部分)


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