1650年5月4日―5月10日

どっちもプランセス

ノーデ:さて、コンデ家のプランセスだが…

ジャック:英語読みするとプリンセス。

ノーデ:これから話題にするプランセス・ド・コンデはコンデ親王夫人の方だよ。

ジャック:ご母堂様の称号もプランセスになりますので、まぎらわしいですね。区別するためにフランス語ではプランセスのあとに、ご母堂様にはドウェリエール(寡婦財産を受けた未亡人)という説明がついてることもあり、ついてないこともあり…

ノーデ:回想録を読む時にはまちがわないようにしないと。

ジャック:それで、今、フランスを南下し、ブルゴーニュ地方からギュイエンヌに向かっているのは夫人の方です。

ノーデ:そうよ。息子のアンギャン公を連れてな。おばば様にこの旅は辛すぎる。

ジャック:アンギャン公と呼ぶと、なんだかもう成人しているようなイメージになってしまいますが、この方、まだ7歳なのですよね。

ノーデ:ルイ14世よりも年が下なのだ。

ジャック:奥方様もまだ22歳とお若い。

ノーデ:奥方様はリシュリュー枢機卿の姪にあたるのだ。

ジャック:ちょっと整理してみたいのですが、いいでしょうか?

ノーデ:かまわんよ。プランセス・ド・コンデはこれまで話題になったことがないからな。

ジャック:話題になったことがない、そこなんですよ!

リシュリュー枢機卿に押しつけられた結婚

ジャック:コンデ親王とクレール=クレマンス・ド・マイエ嬢、つまり、奥方様の結婚はリシュリュー枢機卿が亡くなる前のことでしたね。

ノーデ:20歳と13歳。しかし、婚約はクレール=クレマンス・ド・マイエ嬢が5歳のときだ。

ジャック:アンシャン・レジーム期の政略結婚。叔父のリシュリュー枢機卿に押しつけられた縁組で、コンデ親王(当時はアンギャン公)はかなりご不満だったようです。

ノーデ:まあ、そうだろうなぁ。まだティーンエイジャーのころから戦場をかけめぐり、ランブイエ侯爵夫人のサロンでは人気者なのだ。

ジャック:ちょうど今、出版されているスキュデリー嬢の小説『アルタメーヌ、あるいはル・グラン・シリュスの物語』の主人公はコンデ親王をモデルにしているといわれています。

ノーデ:流行の先端をゆくバロック小説。1649年から1653年にかけて全10巻10395ページが出版される予定。

ジャック:まさしくこの内乱と同時代の作品で、登場人物がフロンドの乱の人物を重なるところがあるといわれています。

ノーデ:文学史上に名を残しているにもかかわらず、後世においてはほぼ読んでいる人がいないというのは悲しい。

ジャック:あ、それ、今ならデジタル・テクストで読めますよ。

https://artamene.othone.org/index.php

コンデの若様とクレール=クレマンス・ド・マイエ嬢

ジャック:小説『アルタメーヌ、あるいはル・グラン・シリュスの物語』は、ちょっと脇へおくとして、リシュリュー枢機卿がコンデの若様と姪の縁組を強行に進めたのには、何か思惑があったのでしょうか?

ノーデ:ルイ13世と王妃アンヌ・ドートリシュ様は1615年に結婚したのだが、20年以上もの間、世継ぎがいなかったのだよ。王弟オルレアン公ガストンには女の子しかいなかい。だから、筆頭親王家で、血のプランスと呼ばれるコンデさんには王位継承の可能性がじゅうぶんにあったということはいえる。

ジャック:そしてルイ14世が生まれた…

ノーデ:だが、王家の一員として、王族は協力しあうものと刷り込まれているコンデ親王はマザランを嫌いながらも、王位簒奪の意志はない。

ジャック:むしろここでうかがいたいのは、奥方様との関係なのですが…

ノーデ:リシュリュー枢機卿が押しつけた結婚だからねぇ。

ジャック:父のコンデ公は豊かなブルゴーニュ地方の総督の地位が約束されるなど満足したでしょう。でも、リシュリュー枢機卿といえば、自分と敵対したモンモランシー公、すなわちコンデ公妃(母)の実兄を反逆罪で処刑した人ですよ。長女のアンヌ=ジュヌヴィエーヴ(現ロングヴィル公爵夫人)もリシュリュー枢機卿を蛇蝎のごとく嫌っていましたからね。

ノーデ:しかし、17世紀なのだ。一家の長である父親が決めたのだから、この縁組に誰も反対などできないのだよ。

ジャック:そんなところへ、まだ人形を抱えているような13歳の女の子が嫁いでくるのですよ。母を亡くしてから、ずっと田舎の城住まいで、コンデ親王が出入りしていたような、文人や才女が集まっているランブイエ侯爵夫人のキラキラしたサロンからもっとも遠い場所で育てられてきた女の子が。

ノーデ:ジャックにそういわれると、なんだかクレール=クレマンス・ド・マイエ嬢にとって、この結婚は最初から不吉な暗雲につつまれていたように思えてきた。

ジャック:コンデ公妃(母)は、クレール=クレマンス・ド・マイエ嬢がリシュリューの押しつけてきた姪であるだけでも我慢ならないでしょう。そのうえ筆頭親王家であるコンデ家としても、自分の生家である大貴族のモンモランシー家から見ても、格下の家柄だ。いずれ国王になるかもしれない息子の花嫁にはもっとふさわしい王女がいるのではないか…。コンデ公妃の胸のうちは、知るよしもないないのですけれどね。

コンデ家の奥方は兵を率いてこの反乱を戦い抜けるのか?

ノーデ:たしかに、ジャックのいうとおり、これまで表にでることのないお方だったな。

ジャック:めったに話題にもならなかったし、つねに夫と姑の陰になっていた。その人のもとに続々とコンデ派の貴族たちが武装して集まってきている。

ノーデ:これから夫に代わって反乱軍を率い、王様と戦うことになるな。

ジャック:大丈夫なのかな…

ノーデ:それが歴史の女神の采配。おもしろいところよ。シュテファン・ツヴァイクもマリー=アントワネットの伝記に書いているではないか。なんの取り柄もない凡人が、たまたまその時その場所にいたことにより歴史に名前を残すことがある…

ジャック:それにしてもいきなり「貴族のフロンド」という大舞台に躍り出てしまうわけですよ。

ノーデ:心配はいらんよ、ジャック。フロンドの乱シーズン2、この春の主役はクレール=クレマンス・ド・マイエ、プランセス・ド・コンデに決まりだ。しかも、その時その場にいたというだけではない。彼女は反乱軍のアイコンになり、共に戦う。

ジャック:ところで、スペインとの盟約に署名したロングヴィル公爵夫人とテュレンヌ元帥を「公衆の安寧を攪乱し、大逆罪を犯したるもの」とするという国王宣言が出ましたよ。

ノーデ:いよいよ役者が揃ってきたといえるではないか、ジャックよ!

ジャック:コンデ支持者がひとつの勢力として姿を見せてきましたね。

Claire-Clémence de Maillé, princesse de Condé コンデ公妃(妻)の肖像
Portrait de Charlotte Marguerite de Montmorency (1594-1650), épouse de Henri II de Bourbon-Condé (1588-1646) ルーベンスによるコンデ公妃母の肖像