1650年3月16日−3月22日

コンデ家の家族はシャンティイ城に?

本の行商人ジャック:それはそうと、コンデ親王逮捕のあと、パリから遠ざけられたコンデ家の御母堂様や奥方たちですが、おとなくしシャンティイ城に篭っているのでしょうか?

ノーデ:パリにおいておくと、不満分子がその周辺に集まる恐れがある。しかし、郊外に遠ざけたからといって、そうはならない保証もない。コンデ支持者の接触は妨げられんだろうな。

ジャック:ご長女のロングヴィル公爵夫人はノルマンディを蜂起させようとして失敗しましたが、あのご気性。姫君が、それであきらめるわけがないですよね。

ノーデ:逃げおおせたのはロングヴィル夫人だけではないのだ。宮廷はブイヨン公爵や、チュレンヌ元帥も取り逃している。このふたりは脅威になりかねない。

ジャック:おふたりはご兄弟で、名門のラ・トゥール・ドーヴェルニュ家の息子さんたちですね。

ノーデ:中世にさかのぼるこのとのできる剣の貴族で、所領のブイヨン公爵領とスダン公領は主権をもつ独立国家の扱い。血筋的にはカトリーヌ・ド・メディシスにつながる。そんじょそこらの貴族とは格がちがうのだ。

ジャック:宮廷内の序列でいえば、プランス・エトランジェという、国内にいながらも、外国の君主とおなじように独立した統治権をもつ貴族という最高の地位を与えられているんですよね。こいつは厄介だな…

ノーデ:ひと声かければ、武装した貴族を集められるような人たちだ。

ジャック:まぁそうしたバックボーンをもつお家のご長男がブイヨン公爵なわけですが、この方、先代の王の時代から、度々反リシュリューの陰謀に加担していましたよね?

ノーデ:最後にスペインと結託したサン=マール侯爵の陰謀に加わり、罰としてスダン公領を取りあげられ、宮廷から遠ざけられたのだ。

ジャック:そこに今度はフロンドの乱。バリ反逆の人生ですね…

コンデ親王の岳父もいくさの準備を始めている

ノーデ:コンデ親王逮捕の知らせを聞くと、ブイヨン公爵はすぐさま王権がおよばない完全自由地のチュレンヌ子爵領へ逃げ込んだ。

ジャック: ブイヨン公爵の弟のチュレンヌさんはストゥネに行ったみたいですよ。

ノーデ:ディエップを追われたロングヴィル夫人も、最終的にはチュレンヌ元帥とストゥネで合流するつもりだ。

ジャック:それにコンデ親王の友人や支持者たちが地方の領地に戻っていますよ。

ノーデ:コンデ親王の妻の父親であるブレゼ元帥もソーミュールに引き、そこで防御を固めたらしい。

ジャック:それって、いくさに備えてるってことですよね?ヤバい雰囲気だな。

ノーデ: 1650年1月のコンデ、コンティ、ロングヴィルの3人の大貴族の逮捕以来、マザラン枢機卿は、パリにおいてはポール・ド・ゴンディ協働司教のちのレ枢機卿のような厄介な人物の接近を許し、前半のフロンドの残党と一時的にせよ手を組んだ。しかし、地方においては、一部とはいえ、今だに領地で勢力をもつ封建貴族たちを敵にまわすことになったのだ。

ジャック:まさに「今、ここ」がそういう状況。

ノーデ:いよいよ緊張が高まり、どう展開するか、目が離せなくなってきたぞ。

ジャック:王妃様とマザラン枢機卿はこの事態にどう対応するのか…

ノーデ:続きは来週!

フレデリック・モーリス・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ (ブイヨン公)の肖像
フレデリック・モーリス・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ (ブイヨン公)の肖像

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