1651年11月1日―11月7日

フランス西南部を掌握するコンデ親王

本の行商人ジャック:宮廷は王様の成年式からこっち、しょっちゅう移動してますよね?

ノーデ:9月の末にパリからフォンテーヌブローへ移ったのを皮切りに、10月の初めにはブールジュへ移動。そして今度はポワティエだ。

ジャック:それにしてもパリのフロンド派がよく王様を手放したというか、首都から出ることを止めなかったですね。

ノーデ:ジャックは2年前の1649年、1月の公現祭の夜に宮廷がパリを抜け出したあの事件を思い出しているのだろう?

ジャック:宮廷がそこにとどまる限り、首都は攻撃を免れるから安心なんです。

ノーデ:あの時はまさに宮廷が出発するや否や、間髪を入れずにコンデ軍がパリを包囲したからね。

ジャック:マザラン枢機卿が亡命した時などは、王様も連れて行ってしまったら大変だと、ゴンディ協働司教が王様の寝室にズカズカと入って行き、ルイ14世のおふとんをひっぺがしたのですよ。

ノーデ:今は状況が少しちがっていてね。コンデ親王はフランスの西南部の貴族たちに蜂起をうながしている。今のところパリが包囲される心配はないよ。

ジャック:西南部はコンデさんの勢力圏ですからねぇ。ベアルヌ地方の総督、グラモン元帥くらいですよ、宮廷に味方しているのは。

ノーデ:コンデ親王は戦線をロワール川にまで拡大しようと考えているらしい。

ジャック:ブルゴーニュやノルマンディも味方につけて、それからパリへ凱旋したいというところでしょうか。

ノーデ:このような脅威を前に、宮廷に残された道はひとつしかない。

ジャック:つまり、それは…。

ノーデ:パリを出て、こちらからアキテーヌ地方へ赴くのだ。

ジャック:そしてコンデ親王をガツンと叩くと?

ノーデ:物理的な力の行使しかないだろう。

返り咲きを狙うマザラン枢機卿?

ジャック:マザラン枢機卿もおなじようにお考えなのでしょうか?

ノーデ:そうすればフランスへ戻るきっかけができる。

ジャック:まぁ、確かに…コンデ親王が変なところで妥協し、宮廷と和解成立などしてしまったら、枢機卿はフランスに帰りづらいですよねぇ。

ノーデ: 10月の初めに宮廷がブールジュへ向かったのも、そういう含みがあったわけだよ。

ジャック:ああ、デストレ元帥が4000人の兵を引き連れて行ったアレ。

ノーデ:ブールジュにいたコンデ親王の弟君コンティ公と姉君ロングヴィル公爵夫人はあれで一目散に逃げ出しただろう?

ジャック:そういや、マザラン枢機卿は手紙でアンヌ様に、毅然とした態度を崩さないようにとたびたび書いているそうです。

ノーデ:ジャックの情報網にも引っかかったか。

ジャック:この9月、10月で内戦の政治的状況がはっきりしてきましたよね。

ノーデ:マザラン枢機卿には王国の政治のトップとして返り咲く可能性もある。

ジャック:マザラン枢機卿が帰ってくる時は、摂政王妃アンヌ様のお気に入りの大臣ではもはやないですよね。

ノーデ:そうだ、今度は誰もがひれ伏す成年に達した王の宰相として戻ってくることになる。

ジャック:王妃様は首を長くして、マザラン枢機卿の帰還をお待ちでしょうね…

Olivier Poncet、Mazarin l’Italien(2018年)の表紙

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