1651年4月19日―4月25日

マザラン枢機卿のいない宮廷はすったもんだ

ノーデ:さて、マザラン枢機卿が亡命したあとの宮廷では、反マザランで協調していた人々の間に徐々に亀裂ができ始めている。

本の行商人ジャック:それ以上の混乱ですよ。パリ高等法院は今や王国を支配したつもりでになっている。聖職者たちは自分の利益しか考えていない。

ノーデ:この状況下でフロンド派は先王の弟、オルレアン公ガストンを推し。アンヌ王妃様を摂政の座から降ろして入れ替えたい。

ジャック:貴族様たちは帰ってきたコンデ親王を神輿に王国の政治に参加するつもりでいる。全国三部会の招集を求めている動機もそのあたりですかね。

ノーデ:三部会というのはむしろ、王様が新たな課税を納得させるために招集するものだったのだが…

ジャック:ともかくそれぞれの勢力が互いに幅をきかせようとしてぶつかりあっているような状態で。マザラン枢機卿が予言したような状況になってきましたね。

ノーデ:まぁ、そんなだから王妃様はやむなく秋に全国三部会の開催を承認なさったのだろう。

ジャック:最後に全国三部会が開かれたのは、1614年。このときもルイ13世の成年を待って、摂政だった王母マリ・ド・メディシス様が開催を決められたのでしたね。

ノーデ:状況はよく似ている。王様が成年に達していない時期に国が乱れる。王権の弱さが問題なのだ。

ジャック:やはり王様が要ということでしょうか。

ノーデ:身分社会というのは序列の社会だから、天辺がしっかりと押さえていないとすぐに秩序が保てなくなるのだ。まさに西洋建築のアーチの天辺にはキーストーン、要石があるのとおなじ力学的構造だよ。

ジャック:マザラン枢機卿のお役目はこの要石、ルイ14世がしっかりと建築を支えられるようにするのを助けることですね。

ノーデ:そうだ、自身が要石になるのではなく、それを正しい位置に据えて、王国全体を支えるようにすることなのだよ。

リシュリュー枢機卿が王国を託したマザラン

ジャック:そういえば、この1614年の全国三部会のときに頭角をあらわしたのが、僧侶階級の代表に選ばれたリシュリュー枢機卿でしたね。

ノーデ:絶対王政確立路線を引いた人物だが、あだ名は「処刑人」。

ジャック:当時はフランスの新教徒、ユグノーたちの抵抗も激しく、それを情け容赦なく弾圧し、ラ・ロシェルの戦いで完膚なきまでに打ちのめしたのがリシュリュー枢機卿。それはそれは悲惨な弾圧をおこなったわけですよ…宗教って恐ろしい。

ノーデ:暴動や陰謀を企てたものは徹底して排除する。まぁ、絶対王政にもっていくまでには血を流すこともいとわない人だったからな。

ジャック:だから処刑人と呼ばれるのですね…

ノーデ:そのリシュリュー枢機卿がマントヴァ継承戦争(1627)の際の和平交渉で、教皇使節団に参加していた、当時は下っ端にすぎなかった秘書官、マザランの交渉能力に注目したのだ。

ジャック:こんなところに、シゴデキ男が!軍事と外交の策士として、その才能に惚れ込んだのですね。

ノーデ:これからの王国に欠かせない人材であると、リシュリュー枢機卿はたいへんな入れ込みようで、パリへ来られるようにいろいろ取り計らった。

ジャック:そこで教皇特使としてパリへ派遣されることになった。

ノーデ:ご当人もフランスが気に入り、リシュリューの元で働くことに決めた。枢機卿の位を得たのはルイ13世が働きかけたからだ。

ジャック:そして、ルイ14世が生まれた時には代父になり、その後、相次いで亡くなったリシュリュー枢機卿とルイ13世に幼い王と国政とを託された。

ノーデ:かくの如く、マザラン路線というのは、先王とリシュリューによって準備されたのだ。

ジャック:それにしても、リシュリュー枢機卿も相当に嫌われていて、何度も暗殺計画がありましたが、宰相というのはみんなに嫌われるものなのですかね?

ノーデ:中央集権化を推し進めようとすれば、反発は必須。

ジャック:とはいえ、処刑人と呼ばれた強面のリシュリュー枢機卿が見込んだ人物ですからね、マザラン枢機卿は。そう簡単には引かないのじゃありませんか?

ノーデ:そうさな、これからどう展開するか、枢機卿のお手並拝見というところだろう。

Triple portrait du cardinal de Richelieu, huile sur toile par Philippe de Champaigne, réalisée vers 1642


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