1649年6月10日〜6月16日

初代はプロテスタントの首領

ジャック:このコンデ家なのですが…聞くところによると、初代はプロテスタントだったそうですね?

ノーデ:それだけじゃないぞ。フランスのカトリックとプロテスタントが争った内戦、ユグノー戦争ではユグノー(フランスのプロテスタント)を率いて戦ったのだ。

ジャック:ガチのプロテスタント…

王家だからって、なんのその

ノーデ:それにコンデ親王のお父さんはアンリ4世の愛妾を奪って、領地に引き篭もり、アンリ4世の死後は、その妻でありかつルイ13世の母であったマリ・ド・メディシスの寵臣コンチーニへのアンチで、夫婦揃ってヴァンセンヌに幽閉されることになります。

ジャック:いろいろ強気ですね。

ノーデ:王家に対して異を唱え、はっきりものを言っても首をはねられない立場だったということよ。

一族そろって、反骨の精神

ジャック:ご長女で、コンデ親王のお姉さん、ロングヴィル公爵夫人のご気性の激しさもなかなかのものですよ。

ノーデ:両親がヴァンセンヌ城に幽閉されているときに生まれただけのことはある。

ジャック:フロンド派の先頭に立って、パリ市庁舎に立てこもり、演説もしています。

ノーデ:その混乱のさなかに市庁舎で出産もなさっていることは記憶に新しい。

ジャック:弟のコンティ公もフロンド派でしたが、しかし、ご長男のコンデ親王は最初のうちは宮廷側で分裂していました。

ノーデ:そこは重要な点で、王家に物申すとはいえ、反王権ではないのだよ。

気位が高く一言居士のコンデ親王

ジャック:王はかくあるべき、しかし、それを妨げる逆臣コンチーニ、そしてマザラン。

ノーデ:コンデ親王の不満は、王妃様には摂政としてしっかり王家を守っていただかねばならぬのに、マザランのいいなりになっていると思われるところ…

ジャック:そりゃ、マザラン枢機卿とは対立して当然ですね。

ノーデ:しかし、コンデ親王はあくまで王家のそばにあり、王家のために戦うことを自らの責務として負っていることを忘れてはならない。

コンデ家ゆかりのシャンティイ城