1650年8月25日―8月31日

テュレンヌ元帥がパリに攻めいり、コンデ親王を救出にくる?

本の行商人ジャック:北のテュレンヌ元帥、南にはボルドーを占拠する大貴族の皆さん。マザラン枢機卿としては頭の痛いことですね。

ノーデ:おまけにパリではムッシューとゴンディ協働司教がなにやら勝手に動いている気配。

ジャック:一方で、パリの人々はテュレンヌ元帥率いるスペインの兵が首都までやってくるのではと心配しています。

ノーデ:27日にランスに近いルテルを占領したそうだから、たしかにパリまでそう遠からぬところに来ているのは事実。

ジャック:テュレンヌ元帥がヴァンセンヌ城を襲撃し、コンデ親王らを救出するのではという噂が本当になりそうですね。

ノーデ:可能性としては否定できない。

ジャック:ゴンディ協働司教やフロンド派は、コンデ親王ら3人をヴァンセンヌ城からバスティーユに移すべきでだとムッシューに進言しています。

ノーデ:ムッシューとしては、また頭の痛いことだろうな。フロンド派がバスティーユへの移送を推しているのは、今、バスティーユ監獄の責任者が高等法院で一番過激な評定官ブルーセルさんの息子だからだろうか?

ジャック:それはどうなんでしょう。パリにおけるマザラン枢機卿代理のようなル・テリエさんは、絶対ダメだと反対したらしいですよ。

ノーデ:テュレンヌ元帥がバスティーユを襲撃するようなことになれば、市街戦は避けられない。囚人はパリの外に置いておく方がよいのではないか…それにコンデ親王らを完全にフロンド派の支配下におくというのも、マザラン枢機卿としては考えられないのではないか…

ジャック:じつは、さっき小耳にはさんだのですがね。ある筋によると、ル・テリエさんがヴァンセンヌ城の御三方をパリの南西にあるマルクシへ移送するのではないかというのですよ。

ノーデ:パリの南のマルクシか…。オルレアンへ行く道の途中だな。たしかにあそこにも頑丈な要塞がある。

ジャック:移送に際しては警戒厳重ということになりましょうね。

ノーデ:囚人を奪われたら大変だ。コンデ親王が野に放たれるなど、ゴンディ協働司教にしたら、想像するだけでも生きた心地がしないだろうよ。

レオポルト大公は民衆の解放者⁈

ジャック:テュレンヌ元帥がパリまで来るようなら、避難した方がいいでしょうか?

ノーデ:避難といえば、北のピカルディ周辺でスペイン軍が動き出したときに、農民も貴族もこぞってパリへ逃げてきた。その避難民たちの間で奇妙なことが囁やかれているのだよ。

ジャック:いったいどんな?

ノーデ:北の方では、大人も子供も、スペインのレオポルト大公に恐怖を覚えるどころか、まるで圧政からの解放者のように歓迎していると。

ジャック:なんともはや。重税を課すフランス王国からの解放者というわけですね。

ノーデ:民衆というのは目の前の苦しさから解放されたい一心で、よく考えもせず、都合のいい解釈に飛びついてしまうところがある。

ジャック:そんなのは幻想かもしれないのに…

ノーデ:そうして翻弄されるのも民衆なら、暴徒化して牙をむくのも民衆なのだよ。

アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ (テュレンヌ子爵)
Portrait de Léopold-Guillaume par Pieter Thijs.