1651年8月30日―9月5日

ゴンディ協働司教は明らかに殺意があったと証言する

本の行商人ジャック:先週のゴンディ協働司教・扉挟み込み事件ですが、ご本人も回想録に記していますけれど、ゴンディさんを重い扉で挟み込み殺そうとしたといわれるラ・ロシュフーコーさんも回想録に記録を残しています。

ノーデ:宮廷の王妃様の側近はじめ、他の人も書き記しているようだな。

ジャック:それがですね、なかなか証言が一致しないこともあって…。

ノーデ:しかし、ゴンディ協働司教はラ・ロシュフーコーさんには明らかな殺意があったと証言している。

ジャック:ゴンディさんのいうことを信じれば…ですけれどね。

ノーデ:扉に協働司教の首を挟んだまま、ラ・ロシュフーコーさんはコリニーさんとリクースに殺せと命じたというではないか。

ジャック:しかし、このお二人は懸命にも動かなかったみたいなことでしょう?

ノーデ:そもそも本気で殺す気だったら、高等法院のあの重厚な木の扉だ、そこに挟んで首を折るなど、武人のラ・ロシュフーコーさんにとっては赤子の手をひねるより簡単なことだったのではないか。

ジャック:まぁ、殺意がなかったとしても、ちょっと悪ふざけが過ぎはしましたがね。

ノーデ:しかし、そんな状況でも、協働司教はその場に味方がいたことを強調している。

ジャック:味方が駆けつけ、ラ・ロシュフーコーさんを押しのけ、扉をこじ開けて救い出そうとしてくれたとのことですね。

もはや引くにひけない 一触即発の党派対立

ノーデ:何しろ、この日は朝から、ゴンディ一派とコンデ派がそれぞれ武装して大勢パリ高等法院に押しかけていた。何かのきっかけで一触即発というところだったのだ。すでに剣を抜いているものもいたということだ。

ジャック:ピストルを持ち込んでいるものもいましたからね。

ノーデ:こういう時は何がなんだかわからんうちに乱闘になっていたりする。

ジャック:幸い怪我人は出なかったようでよかったですよ。パリ高等法院を血に染める乱闘なんて…

ノーデ:事件があった大広間は、王様がじきじきにお出ましになって国王親裁座が開かれる場所なのだ。

ジャック:そんなところを血に染めるなんて、考えただけでも…

ノーデ:この調子だと、これからもっと血生臭くなっていきそうな気配だ。

ジャック:そういえば、9月5日に国王ルイ14世は成年に達せられますよ!

ノーデ:いよいよ摂政政治の終わりが来る。

ジャック:理論的にはねぇ。しかし、王様はまだ少年ですからねぇ…

今はコンシエルジュリとして知られる。王の居城として建築されたシテ宮は17世紀にはパリ高等法院が入っている。

【解説】このふたつの塔の後ろに、国王を迎えて国王親裁座を開く大広間があり、ゴンディ協働司教はその大広間の重い扉に挟まれました。シテ島の王宮として造られたこの建物は、のちに裁判所、刑務所としての役割を担うようになり、もっとも注目されるのはフランス大革命の時に法廷となり、マリーアントワネットが幽閉されていたことでしょう。画像はフランスのコンシエルジュリで配布されている解説の小冊子から引用しました。